元氏长庆集_(四库全书本) 中华文库
元氏长庆集 |
钦定四库全书 集部二
元氏长庆集 别集类一〈唐〉
提要
〈臣〉等谨案元氏长庆集六十巻补遗六巻唐元稹撰稹爵里事迹具唐书本传考稹与白居易书称河东李明府景俭在江陵时僻好仆诗章仆因撰成巻轴其中有㫖意可观而词近古往者为古讽意可观而流在乐府者为乐讽词虽近古而止于吟写性情者为古体词寔乐流而止于模象物色者为新题乐府声势沿顺属对稳切者为律诗仍以五七言为两体其中有稍存寄兴与讽为流者为律讽又称有悼亡诗数十首绝诗百馀首自十六岁时至元和七年有诗八百馀首成二十巻又称昨巴南道中有诗五十一首文书中得七年以后所作二百篇然则稹三十七岁之时已有诗千馀首唐书本传称稹卒时五十三其后十六年中又不知所作凡几矣白居易作稹墓志称著文一百巻题曰元氏长庆集唐书艺文志又载有小集十巻然原本已阙佚不传此本为宋宣和甲辰建安刘麟所传明松江马元调重刋而巻帙与旧说不符即标目亦与所自序迥异不知为何人所重编前有麟序称稹文虽盛传一时厥后浸以不显惟嗜书者时时传录其先人尝手自抄写谨募工刻行云云则麟及其父均未尝有所增损盖在北宋即仅有此残本尔乾隆四十四年九月恭校上
总纂官〈臣〉纪昀〈臣〉陆锡熊〈臣〉孙士毅
总 校 官〈臣〉陆 费 墀
元氏长庆集原序
新唐书艺文志载其当时君臣所撰著文集篇目甚多太宗集四十巻至武后垂拱集一百巻今皆弗传其馀名公巨人之文所传盖十一二尔如梁苑文类㑹昌一品鳯池稿草笠泽丛书经纬穴馀遗荣雾居见于集录所称道者毋虑数百家今之所见者仅十数家而已以是知唐人之文亡逸者多矣呜呼樵夫牧叟诡异怪诞之说鬼神幻惑不根之言时时萃为一书以诒好事者观览至于士君子道德仁义之文经国济时之论乃或沉没无闻岂不惜哉元微之有盛名于元和长庆间观其所论奏莫不切当时务诏诰歌词自成一家非大手笔曷臻是哉其文虽盛传一时厥后浸亦不显唯嗜书者时时传录不亦甚可惜乎仆之先子尤爱其文尝手自抄写晓夕玩味称叹不已盖惜其文之工而传之不久且逺也迺者因阅手泽悲不自胜谨募工刻行庶几元氏之文因先子复传于世斯文旧亡其序第冠以新唐书微之本传则微之之于文其所造之浅深可概见矣宣和甲辰仲夏晦日建安刘麟撰
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- 巻六⟨古体诗⟩
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- 巻八⟨古体诗⟩
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- 巻十一⟨律诗⟩
- 巻十二⟨律诗⟩
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- 巻十四⟨律诗⟩
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- 巻十七⟨律诗⟩
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- 巻二十一⟨律诗⟩
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- 巻三十⟨书⟩
- 巻三十一⟨书⟩
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- 巻三十八
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